2児の母。子育てと仕事の両立を続けて、はや10年。
外資系企業につとめ、産休・育休を2度取得しました。夫の転勤を機に会社を退職。現在、フリーランスで在宅ワークをしている41歳です。
順調なワーキングママ?
いえいえ。
夫の単身赴任、ワンオペ育児、子どもの不登校など次々と壁にぶち当たってきました。
実は私、子どもが苦手でした。
どう扱っていいかわからず、子どもってギャーギャーうるさいし・・・そんな人間でした。
そんな私が子育てブログを書こうと思ったのは、さまざまな壁にぶち当たったときに正直"つらかった"から。
結婚後子どもを授かったけれど、突然の流産で子どもを失うことを経験。
ひとつの命をそだてるむずかしさを思い知りました。
念願の長男を妊娠したときは、妊婦での満員電車通勤に加え、産休直前まで働きづめ。
結局、1カ月以上の早産となりました。
そして育休が明けると、目がまわるような忙しい生活がまっていました。
連日子どもは熱をだし、保育園からのお迎えコール。
上司・同僚に頭を下げながら肩身のせまい職場。
小児科の待ち時間にイライラしながら、おそい夕食に子どもはグズグズ・・。
その後次男がうまれ、時間に追われた私にさらに追い打ちが。
夫が単身赴任になりました。
平日の微々たる戦力も失った私は、毎日ほんとうに時間が足りなくて、ソファーにゆっくりとすわった記憶がありません(笑)
でも、これが働く母なんだとがんばっていました。
でも、あることをきっかけに完全に精神がくだけ散ってしまいました。
長男が小学3年生の時、突然学校に行けなくなりました。
いつもと同じ朝。なんの前ぶれもなく、朝一緒に玄関をでて、息子は学校に、私は職場に向かった日。
急にクルっとふりかえり私の前に走ってきて、「学校行きたくない」といいました。
え?おなかでも痛いの??
あまりに唐突だったので、そんな軽いきもちで聞いてしまいました。
私は会社にいかなければならないので、体調に問題がないなら大丈夫と決めつけてむりやり登校させました。
しかし、次の日も同じでした。そしてますます登校しぶりが悪化していきました。
私は仕事に行かなければという思いが強く、息子は甘えているのと思っていたので、ある日ビシッとしかって、先に行ってしまったことがあります。
すると、なんと1キロ弱ある駅まで、ランドセルをしょったまま泣きながら私を追いかけてきたのです。
これはちょっと、ヤバいかも・・・?
この時に初めて、息子はかなり心に問題を抱えているのだと気づきました。
それからは上司に理由を説明し、できるだけ息子によりそえるよう有給休暇をなるべくとって、息子と過ごす時間をできるだけとろうとしました。
けれども、私はがんばる方向をまちがえていました。
息子は、私が常に寄り添い、付き添う事で、ますます自分の力で学校に行くことができなくなってしまったのです。
担任の先生、教頭先生、スクールカウンセラーと何度も面談をしましたが、お手あげ状態。
結局「お母さんがいると落ち着くので」という言葉でますます自分を追いやりました。
夫は単身赴任だったため、平日の朝に長男の様子をみることは少なく、どんな状況に陥っているのかすら、ピンとこないようでした。
私はあせり、ストレスが積み重なり、何を言われても涙がこぼれ、顔は半分だけ硬直してしまう症状に悩まされました。
でも病院にすら、いく気力がありませんでした。
息子はほんとうに立ち直れるのかという不安感と、思うように仕事に行けない絶望感でいっぱいでした。
そんな時に、大きな出来事がありました。
夫の転勤辞令が下り、家族で引っ越すことになりました。
私は会社員を辞め、息子はあたらしい学校でハレバレと登校できるのではないかと期待していました。
しかし、状況はまったく変わらなかったのです。
私が仕事をしている、していないは関係ありませんでした。
なにが問題なんだろう・・・なんで息子は変わらないんだろう・・・?
私は、息子が小さい頃から保育園に預けていたという罪悪感がある上に、不登校の原因は愛情不足だと人からいわれたことで、必死に愛情をそそいだつもりだったのです。
でも、変わらなかった。
今思えば、カウンセラーや先生、たくさんの人に相談したものの、言われてきたことは
子どもに寄り添って。
子どもと話をして。
子どもにもっと愛情をかけて。
とか。
そんなこと、十分すぎるくらいやっているんです。
他人に言われなくても、誰よりも愛情かけているし、息子をだいじに思っている。
だから、この言葉たちは母である私を、どん底まで追い詰めました。
ある時、ふいに人から言われたことで考えが180℃変わりました。
私がまちがっていたのは、その愛情をかける”タイミング”だったのです。
学校に行けない自分を、母がやさしくしてくれるから、学校に行かなくてもいいと思うようになっていたのです。
そして私は、母が付き添わないと息子は登校できないと、知らず知らず思いこんでしまい、母が常に子どもに依存していました。
学校に行けたことを、母がやさしくほめてくれれば、子どもは次のステップに進めるのだと気づいたのです。
息子を信じて、勇気を出して、思い切って、自立させることが登校への一歩だったのです。
もちろん、ある日突然学校に行けるようになったわけではありません。
いくつかの段階をふんで、最後の一歩は、母が子どもから自立することだったんです。
長男の不登校は私の人生を見なおすきっかけとなりました。
引越に伴い、会社員を辞め、フリーランスで自宅で仕事をする道を選びました。
当初は不登校の息子に対応するためだったのですが、今は自宅にいてもいなくても大丈夫になりました。
ただ、これがきっかけで私にも個人で仕事をするという新しい世界が開けました。
今、それから2年がたちます。長男はものすごく生き生きとして、毎朝早起きして学校に行っています。
テストの点数?忘れものの数?給食はぜんぶ食べたの?よりも
「学校?たのしいよ。いってくるね~!」
この一言が聞けただけで、天にものぼる気分です。
”かわいい子には旅をさせよ”
不登校に悩むお母さんは、ほかの誰よりも子どもに愛情を注いでいます。
私もそうです。
ただ、自立させるために、時には心を鬼にして荒波にもまれさせることが必要でした。
今こうしてふりかえると、息子と共倒れしていたあの時の私に、早く声をかけてあげたいなと思います。
きっと今も、私と同じように苦しんで悩みつづけているお母さんがいるのだろうと思います。
たくさんの失敗や遠回りをしてきた私ですが、このブログを通じて、お母さんたちの力に少しでもなれたら、この上なくうれしく思います。